カテゴリー
旅行

クアラルンプール旅行②

クアラルンプールからマラッカへ

クアラルンプールからマラッカへはバスを使うのが一番早いとネット検索で調べました。

クアラルンプール セントラルからBANDARAYA TASIK SELATAN駅に向かいます。

駅を降りると線路を挟んでBTSと書いているバスセンタービルが目に入ってきます。

中に入るとクアラルンプール から

国境を越えるバスや地方に行くバスなど

さまざまな行き先のバス標識がありました。

インターネットでもチケットは買えるのですがルールが分からなかったため並んで購入しました。40分ほど並びました。

バス代は片道13リンギット

450円ぐらいで行けました。

後で調べてみたのですが、インターネットで検索するとバスがすぐに購入できます。

バスは安いのですが冷房が効き、シートが広く快適なでした。

 

マラッカへ到着

クアラルンプールBTSからマラッカセントラルへ

時間で2時間程。

マラッカセントラルはバスターミナル

マラッカの市街地から少し離れた場所にあります。

マラッカの中心地はバスターミナルよりタクシーで20分。

タクシー待合所でタクシーを使い市街地まで行きました。

※Grabというアプリがあり、UberやGoと同じものがマレーシアにもあります。(後で知りました・・・)

 

オランダ広場

マラッカの観光の拠点となるのはここ。

1300年代初頭、ムラカ帝国がこの地に国を作ったのがマレーシアの始まり。

ムラカ帝国は海洋貿易が盛んな国でした。日本・中国・インドなどアジア圏で

大きな交易をしていました。

しかし、時代の大きな流れで1500年代初頭からはポルトガル、オランダ、イギリスといった西洋諸国の植民地となりました。

そのオランダ統治下で建てられたのがオランダ広場にあるマラカ・キリスト教会です。

 

マラカ・キリスト教会

 

オランダ広場を東へ進むと西洋から東洋へ様変わりしました。

街歩きはその土地の様子が分かる良い観光。

オランダの隣は中国。商店街を歩いたのですが、アーケードになっている柱には中国語の文字、

雰囲気ももちろん中国でした。

アジアと中国は切っても切り離せない関係にあり、特にマレーシアは中国の影響を大きく受けたところだと実感しました。

また、他民族の国で話す耳に入ってくる言葉が何言語も入ってくるのには驚きでした。

セント・フランシス・ザビエル教会(教科書で有名なザビエル)

アーケードを通り抜けて少し歩くとザビエル教会に到着。

1549年、鹿児島に上陸し日本で最初のキリスト教宣教師となったフランシスコ・ザビエル師。

イエズス会の命を受けマラッカを拠点に布教活動を行っていました。

セント・フランシス・ザビエル教会は、キリスト教布教に命をかけたザビエル氏の偉業を称え1849年にポルトガル人の子孫たちが中心となり建設されました。

フランシスコ・ザビエルは教科書に載るぐらいの偉人だったと実感しました。

本日は教会工事中なので入れませんでした。

ザビエル教会にはザビエルとやじろうの像がありました。

やじろう??

だれ??

という人はいると思います。

やじろう、薩摩の武士で若い頃に殺人を犯しポルトガル船に乗ってマラッカまで逃げた。

そこでやじろうは改心するためザビエルに会う。

やじろうの勧めでザビエルは日本に宣教の意志を決めた。

ザビエルのもう一つ大切な教会があります。

セントポール教会。

街と海を見下ろせる、とても素敵な教会です。

中国で宣教活動をしていたザビエル。しかし不運が起こります。

1552年に病のため上川島で死去。

その後、セントポール教会へ9ヶ月安置されました。

16世紀を残した統治時代の教会はヨーロッパにある教会とは趣が違い感動的です。

 

カテゴリー
旅行 歴史探索

クアラルンプール旅行①

8月7日 JAL 成田空港へ

8月7日月曜日、成田11:15発の余裕を持った飛行機を予約。

埼玉から東京外環自動車道→東関東自動車道 で成田へ

8月6日夜に調べたら1時間半でたどり着く道のり、通常の気分で東京外環自動車道へ乗りました。

が・・・

月曜は車通勤の人やトラックが多く、和光で渋滞・川口で渋滞・三郷で渋滞・・・・

休日のノンストレスの東京外環自動車道とは変わり、進まない東京外環自動車道・・・

「もしかして飛行機に乗れない・・・・」

とよぎりました。

 

空港に到着したのが9:30、家を早く出たので

「時間に余裕を持って行動するのが大切」

と改めて思いました。

 

JALチェックインは以前の有人カウンターではなく

無人で全てチェックインができるシステム!!!

コロナ前とコロナ後では違うと感じました。

チェックインは無人の機械、パスポートをスキャン、フライトをチェック

のみでチェックイン完了!!

最後にバゲージタグが出てきました。

バックもタグを付けた状態で無人の機械へ吸い込まれ完了!!

今までの感覚ではない次世代を感じました。

 

いざ搭乗

エコノミーシートでしたが国際線ということもあり

前のシートとの幅があり快適でした。

JALさんすごーい!!

シート雑誌はいつものように

・エチケット袋

・機材仕様

・情報紙 → 7つの間違えが好きで搭乗するといつも集中してしまいます。

・JAL機内販売

・国際線WIFIのご案内

 

機内食

搭乗してドリンクサービスがあります。

私はウィスキー好きなので迷わずウィスキーを頼みました。

「銘柄は??」との質問に

「デュワーズ12年です。」

しかも1ショットどころではなく

なみなみ注いでくれました。

これには感動(TT)。国際線CAさんが太っ腹なのかウィスキーを頼む人がいないのかは定かではないのですが、「嬉しい」の一言につきます。

もちろんチェイサーも一緒に頂けました。

機内食はビーフを頼みました。

サイトを検索したことろ

■お食事
[石川 一本杉 川嶋 川嶋亨シェフ監修メニュー]
チキン味噌デミグラスソース ごぼうバターライス
または
豚ばら照り焼き 人参金平と青菜ご飯

蒸し鶏蓮根サラダ 香草ソースがけ

厚揚げ豆腐 湯葉餡かけ

ブロッコリーとイカの梅おかか和え

フレッシュサラダ ドレッシング添え

美味しく頂きました。

食後に

JAL機内限定・ハーゲンダッツ 木苺のミルクプディング

なんと嬉しいことでしょう。

「やっぱJALだねー」と心の中はルンルンでした。

 

約7時間のフライトですが食事と映画であっという間にマレーシアに到着しました。

 

クアラルンプール国際空港

以前2回ほど来たことがあるのですが

広い!!!

ターミナル1はメインビルディングとサテライトビルディングあり

通常は空港内モノレールで移動するのですが今回は修理中、、、

JALが到着したのはサテライトビルディング

そこからバスに乗ってメインビルディングヘ行きました。

出国手続きはあっという間に終わり

ついにマレーシアへ入国(祝)

 

KLIAエクスプレス

空港から30分ほどでクアラルンプールセントラルへ行ける電車です。

片道RM55で切符を購入できました。

クアラルンプールへ行く人は絶対に使ってください。

カテゴリー
未分類

三峯神社参拝 関東屈指のパワースポット

三峯神社参拝

先日、三峯神社に参拝してきました。

 

三峯神社は関東屈指のパワースポットと言われています。

数年前よりパワースポットで埼玉にあるという話をネットで見ており

訪れてみたいと感じていました。

 

三峯神社へいざ

所沢インターから三峯神社まで2時間半という道のり

しかし事前情報で駐車場がすぐ満車になるということを聞いており

7時出発でももしかしたらたどり着くのに9時30分、そこから駐車場渋滞を考えると10時半。

これは時間ロスなので思いきって朝5時に出発しました。

 

三峯神社への道のりは

関越自動車道 所沢 → 花園

そこから140号パイパスを使います。(ETCは使えないので現金を持っていきましょう)

バイパスから一般道へは自然に切り替わります。

二瀬ダムを目指して進みます。

一方通行のダムの上を通過し

あとは一本道なので時間はかかりますが到着します。

 

三峯神社到着

到着したのが午前7:30

まだ誰もいない駐車場でした。

神社への入り口はこんな感じです。

舗装された山道を登っていきます。

多少勾配があるものの普通に登っていけます。

少しあるくと神社鳥居が現れました。

鳥居を抜けると砂利道になります。

とーりゃんせ、とーりゃんせの歌に出てくるような時代の雰囲気ににてとてもノスタルジックな感覚になります。

5分ほど歩くと正門に到着します。

ものすごい存在感です。

ここから灯篭が並び本格的に神社に入っていきます。

 

三峯神社到着

とうとう最後の階段にたどり着きました。

本日は秩父連峰に雲がかかっており雲のなかにある神社参拝です。

空気が澄んでいて霧の中にある神社。神秘的な感じがしてきます。

本殿到着!!

とうとう着きました。

念願のスポット!!!

御神木が左右対象にあり真ん中に三峯神社、存在感ありすぎです。

 

神社には他の神社の分社も置かれており

伊勢神宮・出雲大社・金比羅様などここに来ればどこの神社にでもお参りができます。

神社にお参りをし一通り参拝をしました。

 

日本武尊(ヤマトタケル)像がありました。

 

帰り道に秩父蒸留所へ

秩父蒸留所はウィスキーが好きな人は知っている有名なイチローズモルトの蒸留所です。

 

秩父は自然が多くパワースポット、蒸留所、神社仏閣と見所がたくさんあります。

 

 

カテゴリー
旅行 歴史探索

淡島神社 龍神の旅

佐世保 淡島神社

「龍神とつながる強運 仕事運、金運を着実に上昇」

旅をするときに大小問わず龍神の祀っている神社へ参拝にいこうと心掛けています。

今回は佐世保、淡島神社

佐世保市街地から近いので車で行きました。

 

淡島神社は本当にあるの?という場所に存在

佐世保市街地から湾を北西へ半周するように進みました。

地図で見るとすぐの場所なのですが道は車一台分の道といつすれ違うか分からない狭い道でした。

途中まで行くと紙で書かれた看板らしきものがあり、神社への道は間違っていないと確認しながら到着しました。

 

龍神を祭る神社

淡島神社は龍神を祭っていることで有名です。

龍神神社は東京では田無神社が有名です。

グーグルで★の数をしらべご利益のあるところを目指し行きました。

本当にご利益があればいいなぁ

カテゴリー
旅行 歴史探索

松山旅行3日目

秋山兄弟生誕の地

松山に来たら絶対に行きたい場所でした。

坂の上の雲を読んだ人なら少なからず秋山兄弟を知っており、好古は世界最強と言われていたコサック隊を破り、真之は日本連合艦隊参謀としてバルチック艦隊撃破。

秋山兄弟誕生の地では、連合艦隊解散の辞、坂の上の雲小説後の好古、真之の歩んだ道、日露大戦ゆかりの地、寄付金で誕生の地が復活したことなど現地でしか知らない情報が聞けて勉強になりました。

 

秋山真之は日本海海戦時三笠にて東郷平八郎の参謀として搭乗していたのが有名ですが初めて練習艦として搭乗した金剛・比叡も歴史で大切な2隻です。

シールズモデルズ=明治に活躍した軍艦をメインに歴史に携わり広めている会社です。

 

 

坂の上の雲ミュージアム

坂の上の雲の小説の展示が飾られてありました。

新聞連載が一話から最終話まで壁一面に飾られてあったのは圧巻でした。

 

旅の最後に松山城

松山市を一望できる松山城は市のシンボルでした。

現存天守12城で城内は木組みで出来ていました。

8/13日は天候が良すぎて36度の外気、歩くだけでもへとへとでしたが城内は思いのほか涼しく、上へ登るにつれて涼しくなり天守まで登ると景色がよく風が涼しくここなら避暑にもってこいと感じていました。

 

松山は面白い!!

また機会があれば行きたいです。

 

 

カテゴリー
旅行 歴史探索

松山旅行2日目

松山→今治へ

本日は今治方面へ出発

松山より下道で2時間ほどで今治へ到着しました。

なんと遠くまで来てしまったのだろうとつくづく感じたのですが

タオルをここで買わなければ今治へ来た意味がないと思い今治タオル本店まで行きました。

お客様がいるため中の撮影はNGでした。

さすが本店という感じの品揃えで今治タオルのふわふわを持ち帰りたいと思い

たくさん買ってしまいました。

 

今治城

今治タオル本店から徒歩10分のところに今治城がありました。

今治城は海上に立つ城で有名です。

1602年、藤堂高虎によって築城されました。

築城の名人で知られていた人物で名将でもありました。

関ヶ原の合戦・江戸城築城と徳川家康に尽くし

日光東照宮には 徳川家康、藤堂高虎、天海僧正の3人の像が奉られています。

 

村上海賊博物館

今治から一路北へ向かいしまなみ街道を北上しました。

村上海賊の娘で有名な村上海賊博物館へ到着。

海賊と命名はしているものの奪うのが目的の仕事ではなく

水先案内人の派遣、海上警護などを行い、海の安全を守ることを仕事にしていました。

ミュージアム内は撮影禁止のため外観のみとなります。

村上水軍は水の上では敵なしの軍隊でした。

明治時代、日本海海戦、秋山真之が村上水軍の戦略を勉強しバルチック艦隊撃破したと言い伝えられています。

ミュージアムの目の前にあった

能島水軍水軍レストランで食事をしました。サーモン丼です。

みなさん海鮮丼を注文するとおもいきやラーメンが多かったです。

 

下灘駅

2日目最後に訪れたのは下灘駅

無人駅ですがドラマやCMで有名なスポットということで立ち寄ってみました。

夏休みということもあり人がたくさんいたのですが

人のいないタイムングを見計らって撮影しました。

カテゴリー
旅行 歴史探索

松山旅行1日目

初めての松山旅行

愛媛・松山は一度訪れたいと思っていました。

とうとう行ける機会ができ夏に行ってきました。

松山へはJALを使い羽田→松山ルートで行きました。

羽田からは通常のゲートではなくゲートからバスでタラップまで行き

地上から乗りました。これは初めての経験でしたので楽しかったです。

 

松山空港到着

松山空港に到着するとみきゃんのwelcomeポスターが出迎え。

しまなみ街道を走っている みきゃん・こみきゃん・ダークみきゃん

みきゃんは犬らしいです。

 

道後温泉

空港をおり以前より予約していたレンタカーをかり

道後温泉へいきました。

道後温泉本館(現在は改装中)

道後温泉正面

人数制限はありますが入浴できます。

到着した時間が遅かったので入れませんでした。

道後温泉駅

 

道後温泉は日本三古湯で歴史は古く

日本国内でもひときわ古い3000年もの歴史を持つといわれる温泉。

そんな歴史のあるところにあるところに行けてよかったです。

道後温泉の近くには 正岡子規の子規記念博物館があり今回は見れなかったのですが絶対に行くべきだと思いました。

 

初日はこれで終了

ホテルでゆっくりしました。

 

 

カテゴリー
歴史探索

日露戦争 田無神社

龍神が祀られている田無神社

ゴールデンウィーク

最後に訪れたのは東京都田無市にある田無神社。

 

龍神を祀っている神社は東京には少ないので

友人の噂を聞き、ご利益にあやかろうと行ってきました。

閑静な住宅街の中に突如と現れるので見落としガチですが

しっかり鳥居がありたどり着けました。

 

境内には異なる場所に

「黒龍(健康増進・家内安全)」

「赤龍(勝運向上・成績向上)」

「白龍(金運向上・良縁成就)」

「青龍(技芸向上・就業成就)」

「金龍(運気向上・幸福招来)」

の計五柱が祀られていますのでしっかり頼みごとを頼みました。

日露戦争碑

日露戦争(1904~1905)

田無村から71人が出征し、3人が戦死、68人が凱旋帰国。

71人の出征者のうち、70人が陸軍、1人だけが海軍でありました。

 

戦闘に参加した日本の軍人と軍属の総数は、戦地と後方勤務の双方をあわせて108万人を超えていました。

このうち戦死者・戦傷者は、それぞれ約8万4千人、14万3千人となっていました。

 

この死者数を考えると

田無で凱旋帰国した兵士はものすごく幸運をもっていたと思われます。

「日露戦争記念碑」

元帥陸軍大将大山巌による書と記載がありました。

カテゴリー
プラモデル 旅行 歴史探索

三笠 宗像神社 羅針儀

戦艦三笠 羅針儀

記念艦三笠、艦橋に行くと昔ながらの羅針盤があります。

私は記念艦三笠の羅針盤が本物と思ってました。もしくは、本物のレプリカかなぁと。

福岡宗像大社の宝物殿に雨宿りで寄った際、衝撃の事実が浮かびあがりました。

 

宗像大社

福岡県宗像市にある神社です。※世界遺産にも認定されています。

前回行ったときは夕方ごろでしたので本門は閉じていました。

今回こそはと意気込んでいったらまさかの大雨(><)

しかし、はるばる宗像大社まで来たのだから恩恵をあやかりたいと思い

宗像大社宝物殿で雨宿りを決行しました。

(wikipediaより)

宗像大社辺津宮

本殿(第一宮、イチキシマヒメを御祭神とする。宗像氏貞の建立で、中津宮の本殿を参考したといわれる。重文)
拝殿(切妻屋根、宗像宮の額がかかる。小早川隆景の建立。重文)

 

宗像大社宝物殿

古来から朝鮮・中国と行き来をしていた場所で、歴史的重要なものがたくさんありました。

そこで目についたのが三笠羅針盤の奉納でした。

 

戦艦三笠 羅針儀 発見

「軍艦三笠羅針盤

明治三十八年(1905)五月二十七日、沖津宮鎮座の沖ノ島にて日本海海戦が行われ、日本が大勝利を治めた。

当時の連合艦隊旗艦「三笠」搭載の磁気羅針儀を、戦後宗像大神の神助を謝し、東郷平八郎元帥の発意によって大正十三年海軍省が奉納したものである。」

との記載がありました。

記念艦三笠に載っている羅針儀は後のせだったと知りました(汗)

 

戦艦三笠模型

カテゴリー
プラモデル 旅行 歴史探索

山内短五糎(サンチ)砲

佐世保へ

佐賀から何気なく佐世保へ移動したときに

目に入って来たのは米軍佐世保基地でした。

佐世保=造船 は言うまでもなく日本海軍にとって大切な場所です。

明治時代は「佐世保海軍工廠」と呼ばれていました。

初めての佐世保で佐世保バーガーを探していたときに

自衛隊が所有する佐世保資料館が目に入ってきました。

 

山内短五糎(サンチ)砲

資料ではなんども文字を見たことがある山内短五糎(サンチ)砲。

今回初めて見る事ができました。

佐世保資料館入り口前に山内短五糎(サンチ)砲が飾ってありました。

日露戦争で山内砲は一等巡洋艦 春日、日進 で使用されていたものです。

当時初期の軍艦はイギリスから購入していたので

アームストロング砲が主な砲弾でした。

 

山内万寿治の発明考案

山内 万寿治(やまのうち ますじ)1860年4月19日 – 1919年(大正8年)9月18日1902年5月、海軍少将に進級。

呉鎮守府艦政部長を経て、日露戦争では呉海軍工廠長。

装甲巡洋艦の建造を主張、監督して主力艦国産化への道を拓いた。

1905年11月、海軍中将となり呉鎮守府長官。

現役将官が民間企業の顧問となるのは極めて異例であったが日本製鋼所の設立に際して海軍から顧問として参画、兵器国産化に尽力した。

(wikipediaより)

 

 

 

日露戦争時山内砲を使用していた軍艦

模型リンク(シールズモデル) 1/700 1/500(日本海海戦参戦艦隊シリーズ)

一等巡洋艦 春日 47mm 軽山内砲 6 基

一等巡洋艦 日進 47mm 軽山内砲 6 基

一等巡洋艦 八雲 47mm 軽山内砲 8 基

一等巡洋艦 吾妻 47mm 軽山内砲 8基

一等巡洋艦 出雲 47mm 軽山内砲 8基

一等巡洋艦 磐手 47mm 軽山内砲 8基

一等巡洋艦 浅間 47mm 軽山内砲 8基

二等巡洋艦 笠置 47mm 軽山内砲 6基

二等巡洋艦 浪速 47mm 軽山内砲 2基

二等巡洋艦 高千穂 47mm 軽山内砲 2基

三等巡洋艦 新高 47mm 軽山内砲 4基

三等巡洋艦 対馬 47mm 軽山内砲 4基

 

佐世保史料館『セイルタワー』

https://www.mod.go.jp/msdf/sasebo/5_sail_tower/5_sail_tower.html

佐世保に自衛隊が展示する海軍の歴史資料センターがあります。

1階の受付を終えると 7階から順に日本海軍の歴史について展示がしています。

7F 展望ロビー・映像ホール
6F 海軍の軌跡Ⅰ 佐世保鎮守府史料展示
5F 海軍の軌跡Ⅱ 海軍の史料展示
4F 海軍の軌跡Ⅲ 海軍の史料展示
3F 海上自衛隊Ⅰ 艦艇等模型展示
2F 海上自衛隊Ⅱ 史料閲覧室
1F 企画展示・佐世保地方隊史料展示

日本海軍の歴史はペリー来航から始まることを知り驚きでした。

黒船という大きい黒い船が遠洋から迫ってくることにより

当時の江戸幕府が危機感を感じ、海軍伝習所を作り鎮守府へ発展していく。

実質開国としての日米修好通商条約を経て、日露戦争(日本海海戦)へ大きな戦争時代へ突入。

そして太平洋戦争へ。

「砕氷艦しらせ」や現在の海上自衛隊の情報など何度でも足を運びたくなる施設となっております。

是非長崎へ立ち寄りの際は足を運んでください。